阪神3連戦を振り返る。

Last Updated on 2017年12月7日 by wpmaster

第1戦は、野村が12勝目。バントさせたくないところでバントさせやすいインハイを投げたりするのをやめたり、バントをさせるところで簡単にさせるなどの工夫、カウントを悪くしてからも相手の動きをみて1球で仕留められる技術をバッテリーが高めれば、これからも勝ち続けられると思う。

中﨑もスパイクの前でワンバウンドした打球を左足くるぶし付近に当て、物凄く痛いのだが、少し庇って投げていたので肩、肘は故障しないか心配ですが、打者にはボールに見えるストライクで後続を0に抑えました。

鈴木も藤浪の速球に振り負けず、ルナも1塁ベースでは打球を見ながら走り、2塁ベースを通過中は、3塁コーチャーを見ながらスピードを緩めず基本に忠実な走塁を見せたり、丸も前進守備でセカンドベースが空いている隙を見て盗塁するなど各選手の動きもいい。

二戦目は、黒田が日米通算200勝目を飾りました。序盤3回までに7点の援護で、その後は、中々点が入りませんでしたが、黒田のレベルになれば、試合の乗り切り方をよくわかっているので、僅差に迫られることはないだろうと思っていましたが、5~6回辺りは、肩の方の余力がなく、苦しみましたが、7回0封。新人の年は、ウエスタン中日戦で1イニング10失点(一軍中日戦でも4年目で2回12失点というのがあります。この試合で敗戦処理の長谷川が6イニング無失点に抑え、その後ローテーションに入ります。)というのがありましたが、一ヶ月後に一軍に上がり、巨人戦で1失点完投で初勝利します。その後、巨人戦では投げては打たれ、以後巨人戦7連敗。4年目の前半までは、前述の中日の他、当時の横浜、ヤクルト戦でも打たれ、阪神戦以外では好投できませんでした。

5年目に初の2桁を勝ってからは、巨人戦にも勝てるようになり、対巨人戦に通算で勝ち越してから渡米。渡米の2年前には、広島球場を本拠地にしながら、防御率1点台(大野豊と黒田だけ)。当時は、スプリット、150キロ台のシュートを決め球にしていました。稀にチェンジアップも投げていました。

メジャー入りしてからも、ほぼ毎年のように200イニング近くを投げ78勝。日本球界に復帰した昨年は、防御率2.55 11勝8敗。

今季は、右肩痛、首痛、股関節と故障とメジャー時代の後遺症と衰えにより苦しみましたが、199勝目から3度目のチャレンジで200勝。おめでとうございます。

後は、リーグ優勝だけです。

海外でも前田が9勝目で2桁勝利に王手をかけました。

充実の1年になって欲しいところです。

3戦目は、中村恭平が序盤で点を取られ、鈴木の安打で同点、丸のエンタイトル二塁打、松山の打球の相手エラーで、メッセンジャーを降板させ、一度は勝ち越すものの、回跨ぎの一岡、へーゲンズが打たれ、5-8で敗戦。Jacksonの方は、腕を遅らせ、胸を見せずに腕のしなり、指のかかりも良く阪神打線は、ほとんど打てていないのですが、ヘーゲンズは、以前から指摘されていますが、開きが早い分、カットのキレはあるのですが、球が早く見えないのか引っ張られたり、高い分ゆったり軽く打たれてもバウンドの高い安打になる。一岡も球速表示は故障前から特別な数字は出ていなくて低目の球が伸びる投手であり、それが大分回復してきたけれどもやはり、回跨ぎは無理がある。

飯田が抹消され、回跨ぎをさせられる投手が少ない、投手に打順が回ってきたことも考慮に容れて、中村にはもう少し投げさせるとは思っていた。

戸田が寮で転倒し、今季はもう投げられないとのことで、福井がどこまで1軍で結果を残せるか。一日休みを置いて巨人戦です。