星野仙一が野球界に遺したもの。

Last Updated on 2018年1月7日 by wpmaster

星野さん、死んじゃったな。

とにかく、中日ファンでなくても、星野ファンでなくても、いろいろな面で、思い出があり過ぎてショックだったわな。

現役時代、監督時代から、賛否両論あった人だけど、

死んだ瞬間から、手の平を返したように、美辞麗句を並び立てる奴には、辟易させられるな。

野球界の進歩という点から言えば、パフォーマンス、実績という事実関係を歪めて過大評価するのは、良くないと思うんよ。

とかく、古くから野球を観続けているおっさんは、ガキの頃に見た選手を美化して今の選手をディスるけど、ピッチングそのものは、紛れもなく現在進行形で投げている投手が一番優れていますから。

現役時代の星野仙一

現役時代の星野仙一は、気合をみなぎらせて真っすぐで抑えていたかのように電波は報じてきた。

筆者は、星野仙一が下り坂になり始めた頃、晩年の星野からオンタイムで知っているが、

星野は、瞬発力を無駄に消耗するようなダイナミックな投げ方でもなければ、柔らかい投げ方ではあるが、脱力して瞬発力をボールに伝える投げ方でもない。

三塁側に四股を踏む、いわゆる手投げの典型的な昭和の投手。

ストレートは、132~133キロで、Maxでも137キロ程度だったと記憶している。

変化球も突出した変化球はなかった。

晩年は、敗戦処理が主で、めったに投げさせてもらえず、ローテーションの谷間で先発して打たれまくっていたことを記憶している。

巨人戦には勝ち越していたが、カープ戦には弱く、山本浩二には、通算で被打率が3割4分ぐらい、ホームランも結構打たれていたように思う。

正当に評価するなら、投げていた球そのものを含め総合力は、小松や鈴木孝政に遥かに及ばず、牛島や定岡の方が未だ、上だったように思う。

牛島が、カウント3-2から、何を投げるかは、そこに至るまでの過程によって違ってくると述べていたが、

星野も、判で押したように真っすぐを投げ込むようなバカ正直なピッチャーではなかったね。

西本や北別府以上に技巧派投手だったのよ。

星野氏自身も、「俺は二流投手」と語っているが、謙遜でも何でもないだろう。

東尾同様、突出した球がなく、打ち損じさせることがなかったので、死球も多かったね。

筆者は、東京育ちなので、巨人戦以外は実況されておらず、オンタイムで観ることができなかったが、

カープが初優勝した年には、衣笠、大下、水谷に死球を与え、本塁に突入し、新宅にブロックされた三村と乱闘になった。

それにしても、よく軍曹と喧嘩にならなかったよな。

ディスってばっかりいるように思われるかもしれないが、

現役時代は、先発完投が良しとされる時代で、降板を渋る投手が多い中、

監督がマウンドに行き、未だ行けるかと問われると、あっさりと「無理です」と答え、

そこは、評価していいところだと思うよ。

更に、「あいつは、ブルペンでの出来が良くないからやめたほうがいい」と監督にも進言した。

現役を通じて培った投手の出来を見極める力は、監督になって活かされたように思う。

監督時代の星野仙一

現役引退して、評論家を経て中日の監督に就任して、記憶に残っているのは、

一シーズンに換算すれば、26~27本、シーズン終盤も荒木から場外ホームラン2発を放っていた谷沢が引退したのは、

どんなもんなんだろうろ疑問に思ったわな。

落合⇔牛島、上川、桑田茂、平沼の1:4のトレードを行ったよな。

抑えと中継ぎ2人を放出して落合を獲るという、現代野球の観点から言えばどうかと首をかしげたくなるトレードだったよな。

他にも、打率2位のパウエルを自由契約にしたり、門倉を放出したりと他にも首をかしげたくなるようなトレードもあったよな。

音がトレードで広島にやってきたときは、ファンとしては嬉しかったが、すぐにまた中日に戻してしまったときには、がっかりしたよな。

強いチームの監督よりも、弱いチームを強くする仕事をしたいというところは共感できるのよ。

しかし、巨人の大型補強を批判しながら、自分のやってることも巨人と同じじゃねーかよというのが、当時の嘘偽りのない感想だ。

筆者は、巨人のようにエースや4番ばかりを揃えて他球団を弱体化させるだけのトレードは好きじゃないが、必要に応じて補強するトレード自体は否定しない。

トレード自体は、間違いではないが、自分のことを棚に上げて批判するなということ。

後、記憶に残っているのは、浩二さんが1回目の監督時に、試合中に口論になったシーンだな。

星野仙一は、若手選手を殴る蹴る、延々と続く説教で鍛えてきた。

星野さん以外にも、西武の黒江、長嶋茂雄、山本浩二、大下とその手の指導をする監督コーチがいて、

当時は、珍しいことではなく、老害たちは、殴る蹴るの暴力を賛美するが、俺は反対だな。

体が資本の選手を殴ってどうすんねん。

殴った選手を次の試合にも使い続けたことから、中日時代の落合に「星野さんは、勝負に甘い人」とシーズン中にメディアで批判されていたが、

殴って急に上手くなるもんじゃねえし、勝てるもんでもねえから、また、個人的にも一軍で使えない投手を投げさせるなという考えだから、正鵠を得たコメントだろう。

楽天時代にも、結果は日本一になったが、降板を渋る田中将大を降板させることができずに、160球完投させてしまい、翌日の試合にもリリーフ登板させて故障に繋がった面もある。

只、打たれた投手に、どうしてそのような結果に至ったのかという原因、過程を省略することなく説明させたり、

阪神の監督時代は、試合に出してもらってはいたがパっとした成績を残せず、野村克也に「覇気がない」と徐々に干されかけていた今岡を1番打者に抜擢し、初の3割、首位打者、打点王を獲るまでに育て上げたり、精神論一辺倒の監督ではなかったのよ。

それと、当時としては、各投手に、それぞれの調整の仕方、投球動作については、型にはめず、必要以上に口出しせずに、比較的、自由にやらせていたように思う。

監督としての実績が上げることができた原因には、スカウトを始め、裏方の人達の働きも大きいだろう。

ギャラード、パウエルを始め、中日の外国人選手は、軒並み活躍していたように思う。

戦後生まれの監督としては、初の1000勝を達成し、殿堂入りもした。

障害のある同級生をおぶって登校したり、島岡に左翼運動をしている学生を殴れと命じられながら、「何かをされたわけでもないのに殴るのはどうか」と躊躇したりと優しい一面もあるし、

盛大な葬式を上げさせることなく、ひっそりと死んでいったところなんかは星野さんらしいよな。

俺は、以前から自分が死んだら、生きている人の生活を乱したくないので、葬式は行わず、誰にも死を知らせず、プロに散骨してもらおうと思っている。

派手に騒がれることなく死んでいくということは共通してるわな。

自分がもっと野球が上手かったら、間違っても部下として仕えたいとは思わないが、友達としては、アリ。

そんな人だったよな。