マツダスタジアム観戦チケット抽選券増刷及び地域限定販売の経済メリット

広島東洋カープの関係者は、いかなる経済上のメリットがあって、従来のチケット抽選券の配布及びチケットの販売方法を改めずに、引き続きこれらを紙で発行し、球場まで取りにこさせるのでしょうか。
この問いを提起しているコンテンツは数多く見られますが、どれも自らが建てた問いに明確な根拠を持って応えられていません。
イデーを形成するのは、経済関係です。ユダヤ金融に作り替えられた経済関係に従順な広島市民、日本人民

スイス銀行を使用させてもらえることを引き換えにユダヤ金融が作られた原爆を広島長崎に投下することに協力した日銀の第三の出資者である昭和天皇を、戦後間もない頃、日の丸を片手に最敬礼して出迎えた広島市民。
コイツらは、経済面の強者にコンプ丸出しなのだ。
共産党員も自民党員もユダヤ金融に命じられるままに役割を演じているだけで敵対していない。共産党に協力しても自民党に協力しても奴隷にとっては利益にならない。
しかし、広島市民は、戦後もバンバンセックスしてユダヤ金融の奴隷作りに貢献する。読売巨人が嫌いといいながら自民党を支持する広島市民
彼等は、ピースナイターに涙しながら、自分の子供が戦争に派遣されなければいい、他人の子供ならむしろ戦争に行ってくれと思っている奴等なのだ。

広島東洋カープの関係者は何故、抽選券を紙で配布し行列を作らせるのか

ダビッドロスチルド、ジェイロックフェラーといった個人の金融資本に給与の支払いを棚上げにされ借金を捏造された奴隷達は、ユダヤ金融のコントロールを受けてユダヤ金融に利潤を貢がざるを得ない。
各企業の代表社員は、決算後にユダヤ金融の代理人である銀行員を通じて奴隷の給料が高すぎると説教を受けるのである。
ユダヤ金融は、自分の借金すなわち国債をビタ一文負担しない。
税金によって国家は運営されていると言われるが、国家も法人も実体がない。
労働関係の総和である社会は、ユダヤ金融が売り出した国債を中央銀行の出資者であるユダヤ金融自身が買って労働者に貸付を擬制することでループしている。労働市場に投下された租税名目の架空商品に付された価値は、、国債の売買によって投下された架空商品に付された価値は微々たるものである。租税負担の不平等を訴えても労働者の暮らしは良くならない。

広島東洋カープの選手は、選手が産み出したサービスの受け取りの引換券と架空商品である現金引換券の交換の前の段階で、価値を低く付けられているが、広島東洋カープの関係会社の代表社員がユーザーに、サービスを受け取ることができる引換券を脳内で(オンライン上で)多く発行すれば、選手の労働に付す価値を更に下げることができる。よって、個人のユダヤ金融資本に利潤をより多く貢ぐことができる。

転売屋の代表社員は、個人の銀行家の代理人でもあるから、同僚社員の給料を下げることでチケット仕入代を社員に転嫁する。そうすることで利潤を産み出す。

転売屋の社員は、広島東洋カープの関係会社の社員から仕入割り戻し(リベート)を受け取ることでチケットに安い仕入値を付けることができる。広島東洋カープ関係会社の社員が支払った売上割り戻し(リベート)は、広島東洋カープの関係会社と広島東洋カープの選手に転嫁される。

リベートというと、ユダヤ金融が代理人を使って作りだした奴隷の道徳に照らして”汚いもの”という属性が付与され、汚いものとしてユダヤ金融出資のメディアのコメンテーターによって宣伝される。
しかし、リベートを支払わないことは無償労働をさせることである。無償労働をさせると労働力を再生産できない。リベートは違法ではない。弱肉強食の全ての経済取引に道徳は不要である。道徳に洗脳されると仕事を失う。

ユダヤ金融、球団資本と球団職員の関係は、雇用契約。他の事業者の使用人を使って警備を含む販売を行えば外注(請負)であるから最低賃金の縛りがない。
広島東洋カープの関係者は、広島在住の転売屋にチケットを売りさばかせて、その労働に価値を低く付する。そこに家族という属性を付せば洗脳することができる。

全国展開の転売屋に紙を発行することなくオンラインで販売すれば、チケットを売りさばいてくれた転売屋の社員の労働に、同族間取引の相場ではなく第三者間取引の価値を付けざるを得ない。

ネットで全国展開する法人の社員に多く売ってしまうと、安く値段を付けてサービス引換券売らざるを得ない。

広島在住の転売屋には、サービス引換券に高い値段を付して大量に売ることができる。
東京在住の広島ファンは、仕事もプライベートも東京でしなければならないことが多いから労働を年換算して数年に一度でも広島に行く暇ができればいい方である。東京の広島ファンは、神宮球場で行われる広島戦か下水道橋で行われる広島戦のチケットを購入する。

抽選券の配布及びチケットの販売は、嫁との性行為しか娯楽のない情弱の広島住民にした方が売れるのである。

テレビの情報を拠り所に育った情弱のブルジョア階級のジジイやババアは地元の転売屋からチケットを買うのである。行列を作ってチケットの抽選券という属性の付された紙きれを手にするのである。

だから、ユダヤ金融資本は、大資本メディアを使って転売屋に悪の属性を付与するのである。
全ての産業において、ユダヤ金融は労働はせず、代理人が労働をする。ロスチルドとロックフェラーはそれぞれ1/3を超える出資をしているから法案を否決できるにも関わらず、代理人である官僚が作った経済関係を規制する法を成立させても、経済関係を規制する法の適用を受けないのである。どちらの代理人が勝とうが負けようがユダヤ金融は全く損しないのである。

世の中平等にできていると思ったら大間違い。
選挙は、見せかけであり、選挙前にユダヤ金融に代理人は任命されている。
ドラフトは、事前の談合及び競り(オークション)で落札者が決まるのである。抽選というのは名目である。
それと同じで、抽選と銘打っているが、経済関係に基づいて配布枚数が割り当てられているのである。

地元住民限定販売を行うことによるメリットを享受するのは誰か

利潤を産み出すのは労働である。土地や建物が利潤を産み出すのではない。
しかし、現実には、マツダスタジアムに出店しているグッズ販売店や飲食店の資本は、売上に応じて地主に支払わなければならないとしても、所場代の基礎部分は決まっているので、出店者は、地代家賃を越える売上を産み出さないと出店してる社員と資本が失業するだけである。
球場に来てくれないと、グッズやうどんが売れないから抽選券及びチケットを紙で発行して行列を作らせるというのは正鵠を得ていない。

産業資本、ユダヤ金融に経済関係をコントロールされているから、利潤を産み出しても、自らが出資し実体化させた法人に利潤をプールすることができない。
松田元が私腹を肥やせるからというのも正鵠を得ていない。

紙で発行しようがオンライン上で発行しようがチケットは、何の価値属性も備わっていない架空商品なのだ。ユーザーが支払う現金引換券も架空商品
各々に価値を付与して引き換える。付与した価値は実体がない。

チケットに転売を取り締まる規定に言う同意は観念だから実体がない。署名も架空である。
チケットに所有主はいないのである。

給料を棚上げにしてウィルスと更に肉体を損耗させる薬を開発製造するという労働をさせれば、実際にウィルスが肉体を損耗しなくても、ウィルスをばらまかずに代理人に演技をさせうだけでも、ユダヤ金融は、労働及び労働力の再生産を利潤をコントロールできる。
行列を作って並ばせて紙切れを配布してもオンラインで架空商品を配布してもユダヤ金融は損をしないのである。
価値をいくらに付けて売買しようが、事業という価値属性が付与されればユダヤ金融のコントロールを受け国債の返済を負担させられるのだから転売屋なんか法の適用除外にして放置しておけばいい。
ブルジョア階級がチケットを並ばずに転売屋から買えて、貧乏暇なしはチケットを買えない。
世の中不平等だなんて何を今更言っているのだ。
オメーラ、仕事の合間にテレビばっか見たり、ゲームに没頭してのほほんと生きてきたのがいけねえんだよ。

結婚して子供を作っても、給料が月ベースで数千円しか上がらないだろ、ユダヤ金融は自分の奴隷を作ってもらうのにそれしか負担しなんだぜ。男も女も労働者は、それで飲食、医療とか奴隷作りの仕事が社会の仕事の他に加わるんだぜ。保育所や託児所を作ると労働を強化しなくなるから作らない。
夫婦のどちらか一方に、家庭に癒しだとか幸せがあると口にする奴がいるってことは、もう一方がそれだけ多くの労働を負担しているのである。
メンタルは経済関係を土台に形成される。保育所の子供はかわいそう、子育てが幸せってのはメディアを使ったユダヤ金融資本による宣伝に白痴が洗脳されてるんだよ。金がなくて得られるものなんて存在しないんだよ。
若い人たちは、それが嫌なら、40代、50代を反面教師にして肉便器なんか労働の世界に捨てて仕事なんか少しでも早くやめちまえ、子孫なんか絶やせ。友達作るな、借金するな、薬を買うな、病院行くな、健康診断を受けるな、保険に入るな、早く死ね、孤独死しろ、葬式するな、骨は海に捨てろ、これらが全ての利潤を支配するユダヤ金融に抵抗する手段なのである。
高い値段を付けられたチケットを並ばずに買えるのだ。野球やライヴ観戦に限らず誰にも邪魔されることなく遊びに行くことができる。家だって無借金で買えるんだよ。

けど、テレビに出ているファイナンシャルプランナーや会計士、税理士なんかはこんなこと言わないだろ。
コイツらは、正社員になって一生働け、起業しろ、保険に入れって言うだろ、専業主婦の奥さんに子供が2人、車を買ってローンを組むことを前提にして話を進めるだろ。
保険ってさあ、ユダヤ金融に金を貸してユダヤ金融が株や国債、社債を買って労働者に又貸しにしてるんだよ。その間、金欠であるから、労働を続けてユダヤ金融の借金を返さざるを得ない。配当が付いたってガキの駄賃程度だろ。元本が返ってこないこともある。メディアに出ているユダヤ金融の代理人に煽られすぎだよ。

総括

俺の書いた文章を読んで精神面で傷つけられたって言う奴がいるだろうよ。
俺は倫理や道徳を拠り所に生きていないからね。
ブロガーの中には、「不快になりたくなければ見なければいい」って言う奴がいるけど、俺は、ブログを書くときは、野球をチームに入って本格的にやったことがある者、具体的にはリトルリーグ、ボーイズリーグ以上を経験した程度の者に向けて書く場合と、利害が対立してる者に向けて書く場合がある。
特に後者の場合には、読ませてムカつかせたいから、更には敗北感を与えたいから書くのである。
それに対し、他のブロガーは、耳の痛くなる話ってしないだろう。
けどな、メンタルは実体がないんだから損害なんて証明できないだろ。
だから道徳をふりかざして言いがかりをつけてくる奴に屈する必要はない。

野球一つにしたって、選手を使う立場にないんだから、同じポジションに複数の選手がいたら、自分好みのプレーをする方を依怙贔屓すりゃいいんだよ。
贔屓されなかった方には、何の経済損失も発生しないだろ。
けど、依怙贔屓するからには、総合的な面から研究して多くのコメンテーターを軽く論破できるぐらい勉強していないと根拠が弱くなるけどな。
SNS上には、他の記者が書いた文章を引用しただけの文章が並び、それに洗脳されてあっちを立て、こっちを立てて、どちらを使っていいか迷っちゃう、競争が激化と締めくくる。
どのコンテンツも金太郎飴のように紋切り型でつまらない。
実際の生活においても、バカと付き合うのは面白くねえだろ。バカは、すぐに飽きる。
だからバカが書いた文章は読まれねえんだよ。