昭和の小中学生について語ってみよう

Last Updated on 2021年7月24日 by wpmaster

奴隷に原油を加工して作らせたた紐は価値が備わっていない商品です。奴隷にそこに価値を付けさせます。物が価値を産むのではありません。物と物を交換することによって利潤が産まれるのではありません。私は、頭の隣に、ティシュ箱と巻尺を並べて頭の長さに価値を付けると、頭の価値は20センチありません。リアルで9頭身あります。肩幅は、185センチの奴の平均よりあります。リアルで、大人になったキャプテン翼そのものです。
羨ましい?否、ほんと、奇形だからさ、リアルで俺のこと見たら、マヂでキモいと感じるからな。タダ働きをすることよってロスチャイルドに利潤を産み出すという経済関係の総和が社会ですが、俺は社会人になってから、式典で集合写真で写真を撮るとき、女子社員に隣代えてくれって言われたからな。

野球用具について

私は、後ろに頭が長いので、頭囲は、56センチあります。修学旅行で沖縄に行ったのですが、大半の日本人は、ハチ張り絶壁なので、米兵の被っている帽子は縦横逆にしないと被れません。班員の内、私だけが、縦横逆にせずにかぶれました。
但し、日本人の頭の形に合わせて製造された野球のヘルメットは、横がスカスカでした。
私が野球をやっている頃は、ユニフォームのパンツは、ショートスタイルかレギュラースタイルしか製造されていませんでした。
ユダヤ人が電通の社員に作らせた美学に照らすと、ショートスタイルのパンツが似合うのは、小股の切れ上がったケツが上を向いている手足の長い黒人だけです。
チビで短足な日本人が履けば嘲笑の的です。
日本のグラビアアイドルがビキニを着ると滑稽なのと、日本のサラリーマンが半袖のワイシャツを着ると滑稽なのと同じです。
顔デカでチビで短足な奴は、和服に近いロングスタイル、ストレートスタイル、フレアスタイルを履くと隠すことができます。
と、言いたいところですが、チビ女、チビ男ののトレンチコート、チビ女のマキシワンピは、滑稽です。
∴まとめ チビは何を着ても似合わない。

昭和のいじめ

私がこれまでしてきたことは、武勇伝であるという価値を付けることもできません。私は、清廉潔白であるという価値を自身に付けません。更に、正義マンを含む人間が産み出した道徳や正義とは如何に矛盾し、いかに彼等が産み出した道徳に照らして醜い人間であるかを暴いてやろうという気概を持ってブログを書いています。
ロスチャイルドに奪い取られた架空商品を奪い返すことが生きるということです。
しかし、労働力を再生産するところまで肉体を破壊すれば、破壊された者は、架空商品を奪い返すことができません。私は、労働力を再生産できなくなるまで肉体を破壊しなければ何をしても構わないと思っています。道徳は生きるということを妨げたことに対する方便となります。道徳上正しくある必要なんかありません。
テレビっこは、正義をふりかざす人権屋とかマスゴミの記者、アナウンサーにブルりますが、人権屋もマスゴミの記者、アナウンサーは無識者なんです。
タダ働きをすることよってロスチャイルドに利潤を産み出すという経済関係の総和が社会です。
ロスチャイルドは代理人を使って社会における労働において利潤を産み出さないか、利潤を産むことを停滞させる者に、知的障害というレッテルを貼ります。
私が小中校と事実上は民間ですが建前上公立の学校に通っていました。公立の小中学校の校長は、ロスチャイルドの代理人である教育行政の事務員によって、知的障害の程度が軽微であると解された子供を各学年2~3人受け容れることを経済関係上余儀なくされていました。知的障害者を受け容れれば、その分、健常者というレッテルを貼られた子供のタダ働きの量が増えるからです。
私が通っていた小中学校にも、知的障害者の生徒が各学年2~3人いました。
知的障害枠で入った生徒は、小学低学年の内は、他の生徒とは、運動、学習、労働において格差は大きくありませんが、小学生の高学年になるにつれ、格差が広がり、その差は顕著なものとなります。
私も、中学のとき、知的障害のある生徒を全裸にして、ズリセンをかかせたことがあります。ズベが女のいじめられっこのジャージ、ブルマ、パンツをずり下すと、知的障害者は、オナニーを始めました。バックドロップをしたら死んでしまいますので、私は、バックドロップをしたことはありません。うんこを食わせたこともありません。高校になってからは、養護学校の生徒をいじめていません。
本音を憚ることなく言うと、私にとって、知的障害者は、女、子供と同じく、嘲笑と憐みの対象です。しかし、私を人を使ってロスチャイルドに利潤を産み出すことを仕事にしていませんので、知的障害者、女、子供に対して怒りは感じません。しかし、肉体の稼働のレベルに格差があり過ぎるので、手を挙げたら死んでしまう。だから、第三者には、私が彼等に優しいと感じられるのです。私自身は、彼等と過ごしてていても楽しくありません。
現代は、昔に比べ、彼等と遊ぶよりも楽しい娯楽が、また、地方に比べ東京には娯楽が沢山あります。バイトをすればそれらを購入できるからです。

昭和の小学生は、プールの着替えは男女同じ教室、就学旅行や合宿の風呂もどんな奴も浴槽ではフルチン、フルマンです。私は、中学一年で童貞を捨てましたが、「脱がされた奴の気持ちになってみろ、お前、人前でオナニーしてみろよ」と言われれば、全然、余裕で人前でオナニーできます。
小学生高学年のガキともなれば、脱がした奴だってオナニーはしています。現代でも同族会社の社長同士は、性行為を嫌がる息子と娘の首根っこを抑えつけてセックスさせて子供まで作らせますからね。それに比べたら、人前でオナニーをさせるのなんかどうってことはないでしょう。セックスをさせたわけでもなければ、更に子供までをも作らせたわけではありません。
知恵遅れの子は、中学を卒業後、作業所でタダ働きさせられます。作業所から逃げ出してAVに出演しオナニーをしながら、ソープで売春し、作業所よりもエサに高い価値が付けられます。男は、ソープ嬢を買うことによって、子供を作らず、労働から逃げることができます。ロスチャイルドが戦争を行わせるによって利潤を産み出すことを妨害しているのです。
私も大人になってからも同級生と集まることがあれば、知恵遅れの子を脱がせてズリセンをかかせたことを話題にし、ワハハハハと笑っていましたよ。嘲笑の輪の中には、既に人の子の親になっている奴もいたからね。
知的障害者を全裸にしてオナニーをさせるといういじめは、石原慎太郎とか森喜朗が通っていた戦前の尋常小学校、国民学校の頃から、例外なくどこの公立学校でも行われていました。あなた方が大好きなカープの選手の大半も、確実にやっています。
回りで傍観していた女子も喜んでチンコをガン見していましたよ。知的障害者をフルチンにしなかった女子も、フォークダンスのときに知的障害者と手をつなぐことを拒んでいましたよ。
小山田圭吾が「知的障害児童を全裸にしてオナニーさせた」と聞いても、全く驚きません。全く引きません。
ウサギは、自分のウンコを食って生きているからな。それよりも、塩素の入ったプールに生徒を入れ、塩素の入った水を飲ませ、成長促進剤で育てられた牛の乳や小麦を食わせ、動物が食ったら死ぬ農薬入りの野菜を食わせ、アステルパームの入ったデザートを食わせ、ワクチンを打たせ、放射線を浴びせる方が遥かに肉体を破壊するだろうよ。
うんこの付いたケツに水着を着せるからいけないんです。だから塩素を入れる口実ができる。ガキなんか水着を引っ剥がしてすっぽんぽんにしてやりゃいいんです。で、シャワーを浴びさせてからプールに入れる。
カラスの死体に、ボウフラ、苔、プランクトンの繁殖したプールに、すっぽんぽんで入るのが最も健康にいいのです。
それを人権屋が叩くからいけないんです。
小山田のいじめに対し、「引いた」「胸糞悪い」とか言っている奴には、テメー、自分の学生時代を美化してんじゃねーぞこの野郎としか思いません。
戦争の実施を決定すれば、戦争を実際に履行させることに関わらず、奴隷にタダ働きをさせて原子力、車両、航空機、ワクチン、成長促進剤の生産を増産させることができます。道路の建設、インフラ工事、警備をさせることができます。
ロスチャイルドの利潤を産み出します。ロスチャイルドは、金を労働者に貸したことにします。ロスチャイルドがロスチャイルドの借金をして労働者にロスチャイルドの借金を返済させているのです。
オリンピックの開催を決定すれば、奴隷をタダ働きさせて原子力、車両、航空機、ワクチン、成長促進剤の生産を増産させることができます。道路の建設、インフラ工事、警備をさせることができます。ロスチャイルドの利潤を産み出します。ロスチャイルドは、金を労働者に貸したことにします。ロスチャイルドがロスチャイルドの借金をして労働者にロスチャイルドの借金を返済させているのです。
奴隷に、子供を作らせれば、死後、原子力、車両、航空機、ワクチン、成長促進剤の生産を増産させることができます。道路の建設、インフラ工事、警備をさせることができます。
ロスチャイルドは、奴隷にタダで介護、保育、食事作り、教育の仕事をさせて子供を育てさせます。しかし、子供は、親の下でタダ働きをしながら、労働力を再生産するに留まり、ロスチャイルドには利潤を産み出しません。ロスチャイルドは、介護、保育、食事作り、教育には投資に価値を高く付けません。
奴隷は、タダ働きをすることによってロスチャイルドに利潤を産み出します。タダ働きをすることよってロスチャイルドに利潤を産み出すという経済関係の総和が社会です。
私を含め、奴隷は、社会においてタダ働きに応じることで戦争に貢献し、他の者の命を奪って労働力を再生産して現在に至ります。これは正義マンも同じです。
私には子供がいませんが、子作りも戦争貢献であり、労働力の再生産です。
オリンピックは、平和とは対極に位置する経済イベントであるという価値を付けることができます。
私は、小山田圭吾の音楽にも、オリンピックにも興味がありません。オリンピックの音楽を誰が作るかにも全く興味がありません。
平和の祭典とは対極にあると解せられるオリンピックの音楽を作る者が、道徳上、正しくある必要がどこにあるというのでしょう。小山田圭吾のいじめ問題は、電通又は博報堂の社員がツイートしてムーヴメントをフィクションしたのでしょうが、SNSの利用者が、小山田圭吾が過去にした「いじめ問題」に釣られたことに関しては、何故、そんなに釣られてんの?バカじゃねえの?としか思いません。
タダ働きをさせれば、利潤を産みます。利潤を得ることは楽しいことです。いじめは絶対に無くすことは無理です。学校なんか行かなくても生きていけます。いじめで自殺するのは、大人が逃げ道を認めてやらないからです。

勝利至上主義と労働力の再生産

認識は、肉体の稼働の後に産み出されます、。メンタルは実体がありません。労働をしているときは、メンタルによって肉体を稼動することができません。
勝利至上主義というのは、後付の、上層建築の話です。
相撲の肘鉄も、ワンポイントリリーフの起用も、労働力が損傷し、やがて労働力が再生産できなくなってきます。
投球数が嵩めば、肉体は損耗します。スウェイしてファウルを連発する打者に対し、その打者の背中の後ろに投球して、投手が自己の肉体を守るのはアリです。
投手は、投球動作を止められると、故障します。打者が打席を外しても投球しても構いません。
白鵬が照ノ富士にした肘鉄も、原辰徳のワンポイントリリーフも品格という上層建築の問題ではなく、土台を作る材料の問題です。
ゲームの進め方としては、原辰徳がやっているサイドハンドの投手をワンポイントで起用する采配は、手段として軽薄です。
ロスチャイルド、ロスチャイルドの代理人である産業資本、政治家に品格を要求しても戦争は防止できません。益してや、戦争によって死んだ人間、破壊された建物という現象又は模造させた物体、演技させた者を写した写真を加工し、又は加工を施さなくても、それらをガキ共に見せて倫理や道徳を教育したところで戦争は無くせません。
奴隷がタダ働きに応じる限りは、戦争は無くなりません。
東日本の大地震は、原爆の投下です。雨もロスチャイルドが奴隷を使って降らせます。温暖化は実体がありません。錯覚です。利息は物神論を使った方便です。利息は実体がありません。生命保険はロスチャイルドに対する貸付けです。ロスチャイルドは借入れ証書をロスチャイルドに発行します。ロスチャイルドのした借入れ利息を肩代わりさせられたものが税金、社会保険料です。
奴隷の労働力の再生産ができれば、ロスチャイルドはエサを与えタダ働きをさせ利潤を産み出します。金を貸したことにして、ロスチャイルドの借金を肩代わりさせます。労働関係をコントロールします。
プロ野球は、ビジネスだから、松田元が、選手のエサ、関係者への経済利益の供与に付ける価値を渡邉恒雄以上に付け、ロスチャイルドから借入れの申し込みをすればいいのです。借り入れた金は、経済関係上は、選手の借金ではなく、ロスチャイルドの借金ですから、踏み倒してやればいいんです。
私と同年代のほとんどは、親からロクに金が与えられず、服従を強いられた。幸せな子供時代を過ごした奴は皆無でしょう。
昭和の子は、経済面で勝たないと親を捨てることができなかった。道徳なんかに洗脳されている場合じゃなかった。
だから、道徳や正義をふりかざす奴はいじめられた。
サッカー以外のスポーツは金がかかる。今現在は、貧富の差が拡大し、スポーツがやれている子は、裕福な家庭の子が大半。働かなくても人を働かせなくても親のカネで生きている。女を抱けば労働から逃げられない。しかし、女を抱かなくても生きていける。だから他人を蹴落とす必要がない。
時間は、労働に価値を付けたものです。時間は実体がありません。年齢も架空のものです。
私に言わせれば、今の若い奴は、俺なんかがそいつらと同じ年齢であったという価値を付けた頃に比べずっと温厚です。
しかし、今も昔も職業を問わず、少子化になっても金が全てです。
「勝ちゃあ何でもいい」と思っているのは、若い子ではありません。
国民学校教育を受けた世代のほとんど死んだ現在、最も、「勝ちゃあ何でもいい」と考えているのは、北の富士と同年代の戦中生まれです。
カープファンのトップブロガーに釣られている巨人ファンは、ゆとり世代以降の若い子ではありません。執筆者より先に生まれた奴等が、若者の言葉を使って罵っているのです。
伝統を守るということは進歩を拒むことです。
伝統を重んじる立場に関して、私が常に思うことは、監督やコーチより上手くなりたくないの?ってこと。
私は、”出塁した後で”、走る野球は好きです。積極的であると解釈できるからです。
しかし、走り打ちは大嫌いです。自分より強い奴から逃げているからです。振り逃げは嫌いです。バッティングが下手くそだからです。
私は、きわどい球を振らずに四球で歩くのが大嫌いです。それは、バッティングが下手くそだからです。
それを「つなぐ野球」と賛美する奴が嫌いです。四球で歩いて責任を逃れた奴に逃げ口上
を与えるからです。
データは、野球の動きに価値を付けたものですから、実体がありません。架空商品です。データを集めても試合では勝てません。
リクエスト制度は、劣勢の状況を産み出した選手が下手くそなのがいけない。リクエスト制度は、私見では不要です。
申告四球は、投手の肉体の損耗の進行を遅らせますので、私見ではこれは必要です。
走塁、捕球、スローイング、打撃は、全て関係していますので、どれか一つでも疎かにすると野球が下手になります。DH制の採用は反対です。
フライを打つ練習は、インサイドアウトスイングの完成に近付けます。
私は、プロ野球に進みたい子には、勝利優先のスモールベイスボールの高校ではなく、自分でメニューを作成し、野球の動きの土台を作っていくことを認めるチームに入ることを薦めます。