現役選手はCSには反対していると言い切れるこれだけの根拠

Last Updated on 2021年10月25日 by wpmaster

経済面で自立できていれば、ロスチャイルドの代理人によって貼られたブサイクであるという属性についてのコンプも、モテないことについてのコンプも抱く必要はない。
CSへ向けて負けられないと騒いでファンを一つにつなげようとする、反対意見を許さないとしている奴等のコメントを見せつけられることは、第一希望にフラれモテなくて余り者になったチビデブハゲのブサメンとデブスのババアが必死になってセックスアピールをしているのを、余り者になったこいつらがハチ公前で青姦しているのを見せつけられているのと同じで、そのキモいと感ずること尋常ではない。
プロ野球選手は、趣味で仕事をしているのではありません。生きること、すなわち、「労働をして他の者から利潤を取り戻すということ」から逃げ出すとことができないという経済関係がロスチャイルドによってフィクションされてしまったから労働に出かけるのです。プロ野球選手に意識高い系はいません。
プロに入ってくる奴は、アマチュアでプレーをしてきたときは、エースで四番です。スカウトに値段を付けられ、ロスチャイルドの代理人の審査を受けて東大に入るよりも狭き門を突破してプロに入ってきます。
プロ野球選手は、「CS出場権」という、栄養費に付けられる価値が下がる、ゴミでしかないという価値が付けられるタイトルに興味はありません。経済関係上、CSに出たいと言わされているだけです。
ロスチャイルドは、貧くて学問(≠学校の勉強、市販の書物、)をやっていない奴隷を代理人します。ロスチャイルドは、奴隷をタダ働きさせて利潤を産み出せる学問と、利潤を産み出させる経済関係のフィクションできる学問を代理人に仕込みます。テレビは、バカしか出れません。バカに大学教授とか医師とかのレッテルを貼り、権威付けをします。奴隷向けの学問を代理人に宣伝させます。タダ働きにさせられたことに対する抗議を唯心論によって鎮めます。
これまで「CSによる下剋上、負けられない戦い」に反対していた者も宗教によって選手のCS出場実現を応援する側に回らせることに成功します。消化試合という価値が付けられていたものに、CS出場権争いという価値を付けて、面白がってくれます。3S政策の成功です。
SNSは、バカでも、事実を学んだ者でも参入できます。
ロスチャイルドは、傘下のメディアの使用人に、ファミニズムを宣伝させると共に、少子高齢化、国債の増大を煽り、実体のない本能論を宣伝します。女に社会でのタダ働き、労働力の再生産、家庭内でのタダ働きの全てをさせます。
国債は、経済関係上、ロスチャイルドの借金です。労働者には、労働する義務、生きる義務、子供を作る義務は産み出せません。
テレビのアナウンサーは、「ワクチンによって不妊になる」という匿名の書き込みを信用せずに、専門家に相談しろと言います。匿名による書き込みが事実でなければ、スルーできます。ムキになって匿名による書き込みを潰しにかかるのは、「ワクチンによって不妊になるという匿名の書き込みが事実だからです。
不妊になれば、奴隷をタダ働きをさせて排卵促進剤を製造させることできるからです。排卵促進剤を投与すれば、母子に障害が生じ、奴隷をタダ働きをさせて別の製薬を製造させることができるからです。
ワクチンを打って肉体が破壊されないと、奴隷をタダ働きさせて別の製薬を製造させ、奴隷にロスチャイルドの借金を背負われることができないからです。ロスチャイルドは、ワクチンによる肉体の損傷がバレると利潤を産み出すことができないのです。
共産党員は、労働者である大企業の役員から献金を受けていないと言いつつ、ロスチャイルド個人からは献金を受けています。共産党員は、国債、すなわち、ロスチャイルドの借金の利子を労働者に負担させている消費税の税率を下げろと言いつつ、国債を発行しろと言います。国債は、実際にはロスチャイルドの借金ですが、労働者一人一人の借金にされます。利率は下がっても、元本が増えますので、支払期間が長くなり、利子総額は増えます。ロスチャイルドは、栄養費に付ける価値を下げて従前よりも長く労働者をタダ働きをさせることができます。自民党員も共産党員も皆つながっているのです。だから、ワクチン証明書の提示を求め、ワクチンを打たない者に、経済活動すなわち、生きることに制限を加えるのです。私は、他人を働かせなくても生きていけるので、ワクチンを打っていませんし、今後もワクチンを打たずに死ぬことができますが、殆どの者はそれができません。
テレビのアナウンサーは、SNS上の、白痴化された人間が書いた書き込みをタレ流します。
セイバー野郎も白痴化された人間です。

セイバー指標だけで選手のサービスに価値を付けることはできない

内野ゴロに安打という価値が付けられても、塀を越えた本塁打も、1安打にカウントされます。人差し指の付け根でグリップを押して単打を打ったのと、トップハンドの小指でグリップを叩いて単打を打ったのとでは、体の動きが異なります。
ロースコアの接戦における同点のケースと大差がついた場面では、相手投手が自らの肉体にかける負荷が異なります。ペナントレースにおいて首位のチームと僅差の2位のチームが対戦する場合と、首位のチームがリーグ優勝が決まる前と決まった後とでは選手が肉体にかける負荷が異なります。
僅差の1位、2位のチームが戦う場合と、首位とのゲーム差が大きい、3位争いをしている3位と4位のチームが対戦する場合とでは、肉体にかける負荷が異なります。
何れの場合において、同じ1安打を打ってもその安打に付けられる価値が異なるものとしなければなりません。同じ無失点に付けられる価値も異ならなければなりません。
よって、リーグ優勝がなくなった4位のチームの投手が、首位のチームの選手に投げても、リーグ優勝が確定していない首位のチームが2位以下のチームに投げた場合、リーグ優勝が確定していない僅差の2位チームの選手が首位の選手に投げたのに比べた場合と比べると、一投球に付けられる価値は落ちます。
投手が同じ投球数を投げた場合でも、トップハンドの親指でボールを叩いて投球腕前腕部を回内した場合と、投球肘をつまみ上げて投球肘をつまみ上げたり、肩関節を持上げて回内させた場合とでは、体の使い方が異なります。股関節、側副靭帯、上腕部の損傷の進み方も異なってきます。休養を入れるまでのスパン、労働力の再生産できるスパンも異なってきます。メンタルは、実体のない観念です。メンタルによって肉体の稼働はコントロールできません。メンタルが肉体の稼働に先立つということはありません。肉体の誤作動は、メンタルによるものではなく、セットアップの解除に上下運動がないことによりその後の各プロセス全てを行う間(プリングオフ→ハンマリングオン)ができず、肉体の稼働に負荷がかかり、労働力が再生産できなくなることのループによって生じます。心理学に頼ることは怠慢です。
私が栗林の労働量を増やすことに反対するのは、球数、登板数、登板間隔に基づいて言っているのではなく、肉体の稼働という面から反対しているのです。
労働を制限するということは、生きることを制限することです。労働を制限するからには、①その者の役務の提供が経済関係上必要がないこと、②その者の肉体の稼働のプロセスによっては、労働力を再生産し、役務を提供することができない、故に、栄養費に付けられた価値を増して労働から逃げるということができないということの根拠の提示が必要となります。
奴隷に、その肉体を源に、肉体の稼働によってサービス(タダ働き)を産み出させてきたことによって、利潤が生ずるという経済関係を理解しないままに、学者によって現象面、法則から付けられたセイバー数値だけで、労働を制限することは、その根拠がないことと同じです。
球数制限は、インサイドアウトで投げられる投手を集めることに成功したチームには有利となります。しかし、球数による投球制限は、球数だけでは労働力の再生産の現実とは、乖離したものとなり得るのです。
現象、法則、実体のない観念である正義や人権という上層建築から労働を制限することは、根拠がないことと同じなのです。論者の恣意すなわちマスターベーションでしかないのです。

消化試合でも肉体に負荷するギアを調整するのは何故か

かつては、セイバー数値に基づいて栄養費に付ける価値が選手と資本間で決められていましたが、選手側が個々に経済関係、労働力の再生産に関して学習し、首位のチームの誰とと対戦したときの、ケース別、カウント別、スコア関係、打球方向において、いかなるサービスを産み出したかについてアピールするようになり、下位のチームの選手と対戦した場合よりも栄養費に価値を高く付けることが契約条項に加算されることとなりました。
広島ーヤクルト23回戦、広島の選手は、4回裏に、3-6と一旦は、ヤクルトに逆転されながら、7回表に、7点取って10-7と逆転しました。
広島の選手は、労働力の再生産の準備をしないと故障するという面に加え、上記のように課された細かなノルマ(首位のチームの選手対戦したときの、ケース別、カウント別、スコア関係において産み出すサービス)の存在によって、肉体に負荷をかけたという価値を私は付けます。私は、選手は、チーム成績に関係なく個々の選手が、個々の経済関係に応じて肉体にかける負荷を調整していると考えます。
例えば、直近の試合が、対ヤクルトではなく、最下位のベイスターズの選手との対戦であれば、広島の選手は、ヤクルトの選手と対した場合に比べてギアを上げなかったと考えます。
私やプロ野球選手にとって、リーグ優勝できなかったチームの選手は、全て敗者です。「CSに向けて崖っぷち」ではありません。既に、ペナントレースは終わっているんです。
私は、広島の選手の肉体の稼働に「CSに出たいから負荷をかけた」という価値は付けません。
日本シリーズによって、労働量が増えたとしても、リーグ優勝したチームの選手が日本一を争うという大義を使って選手を洗脳することができます。
CSに出れば、タダ働きの量が増えます。ノルマが課されて栄養費に付けられる価値の総額が増しても、一労働に付けられる価値は下がります。インサイドアウトによる脱力する体の使い方ができない選手が、労働力が再生産できなくなります。前倒しで労働から逃げるということができなくなります。選手側は、CSという労働が加わることには反対しています。
CSで下剋上というのは、ファンのマスターベーションでしかありません。ファンがロスチャイルドが利潤を産み出すことを支持しているのです。
私は、選手が個人成績を上げて年俸を上げることは望みますが、リーグ優勝がなくなったチームの残り試合の勝敗及びCS,日本シリーズの勝敗には興味はありません。残り試合につき、広島東洋カープの選手が他のチームの選手に勝つことについては応援できません。リーグ優勝できなかったチームの選手がCSに出ても、CSを制して日本シリーズに出ても、日本シリーズを制しても祝福しません。
私は、道徳上正しくなくて冷たいよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA