大竹寛のピッチング

Last Updated on 2022年4月3日 by wpmaster

2004年、開幕直後は先発ローテーションの一角として5試合に先発したが中継ぎに回り、永川勝浩の不振によりシーズン途中から抑えに起用された。をまた、自己最速の155km/hを記録している。

2005年、先発ローテに定着し、リーグ最多の先発登板28回、防御率5点台ながら自身初となる2桁勝利を挙げる。奪三振率はリーグ最高となる。しかし、与四球、ボーク、暴投、失点、自責点のワースト5冠となり、リーグ13年ぶりの失点が100を超えた投手となる。

2006年、開幕から6連敗する。9月5日の対横浜戦(長崎)では、8回二死まで1人の走者も許さなかったが、内川聖一に左前安打を打たれ完全試合を逃し、9回二死から石井琢朗にソロ本塁打を打たれるが、自身2年ぶりとなる完投勝利を挙げる。シーズン全体ではリーグワーストの13敗、被本塁打25を喫する。

2007年ワインドアップの投げ方に戻し、新たにシュートを習得する。5月に5連敗するが、9月23日の対中日戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初の完封勝利。3年連続で規定投球回到達。

2008年3月28日の開幕戦で初の開幕投手で8回を4安打1失点で勝敗つかず、前半戦は5勝10敗、後半戦はチームで唯一ローテーションを守って4年連続の規定投球回に到達する。

2009年、新たにチェンジアップを習得。4月28日の対巨人戦で開幕初完封・初勝利。この試合から5月31日の対楽天戦6回途中までセリーグ歴代6位となる43イニング連続無失点を記録し、佐々岡真司の持つ30イニング連続無失点の球団記録を更新。5月は月間4勝0敗、防御率0.51の成績で、自身初となる月間MVPを受賞した。
チーム最終戦である10月10日の巨人でプロ入り初の無四球完封、同年、巨人戦での完封勝利は大竹の2回の他には横浜のスティーブン・ランドルフが1回あるのみだった。

2010年春季キャンプ中の2月15日に自己最多の270球の投げ込みを行って右肩を故障、6月1日に一軍に昇格して同月12日の対埼玉西武ライオンズ戦でシーズン初勝利。同月26日に右臀部肉離れで出場選手登録抹消され、右肩の故障再発もあってシーズンの残りを二軍で終えた。

2011年は、5月28日の対日ハム戦で打球を右手に受け途中降板、右手小指の粉砕骨折。10月1日の対巨人戦で約4ヶ月ぶりに復帰し、同月23日の対阪神戦で1年4ヶ月ぶりの勝利投手となる。

2012年5月12日の対中日戦では右肩故障以降最多の128球を投げ、6月5日の対日本ハム戦で通算1000投球回を達成した。前半戦を6連勝、自身最多の11勝をあげ、2年ぶりに規定投球回数に到達する。

2013年オフ、FA権を行使し、巨人に入団。

2014年4月26日の対広島戦(マツダスタジアム)に先発して勝利投手となり、NPB史上15人目の全球団勝利を達成した。 カード別では中日から6勝を挙げる。9月初旬に肩を故障して戦線を離脱し規定投球回には到達できずポストシーズンの登板はなかった。

2016年7月30日のヤクルト戦では通算1500投球回を達成。8月20日の阪神戦では2009年以来となる7年ぶりに1試合2ケタ奪三振(10三振)。また9月28日の中日戦では8年ぶりとなるリリーフ登板をする。

動作解析

右投げ右打ち スリークォーター

2018年のストレートのMaxは、149km/h

大竹は、「く」の字のとき左膝をルーズに曲げ、右股関節が外旋しアウトエッジであるが左足内転筋の内旋がほとんどない。

テイクバックのとき両肩が水平で右肘をつまみ上げる前に右肩を左肩よりも下げる。右腕前腕部を回内するが、右腕は背中の方に引かない。上体と下半身に捻転差がある。

右肘をつまみ上げたとき右足はアウトエッジだが踵が地面から離れ右膝が内に入り始める。左足はスパイクの内側から着地。左手は親指が上で左肩が開く。

左足の着地から右肘が出てくるまでに間がある。リリースの瞬間に左足の膝が一塁側に曲がり壁が崩れ右腕上腕部の付け根が凹む。

各種指標

球種配分

球場別成績