衣笠祥雄さんの思い出。

Last Updated on 2018年4月25日 by wpmaster

衣さん(祥さん)が亡くなった。

資本にこびず、監督やコーチになることなく亡くなった。

野球解説者の多くは、ボソボソとこもる声がこもるが、衣笠さんは、甲高い声ですぐに、衣笠さんだとわかる。

最近も慶彦さんのtweet(インスタには出ていない)にも登場し、今季も何度かその声を聴いたので、少しびっくりしたなぁ。

後輩に対しても威張りちらしたりせずに、丁寧に対応する。

人間は、死ねば焼かれて灰になる。

もうお会いすることもできないし、解説を聴くこともできないんだな。

天国も地獄も存在しないから、衣笠さんも、後輩たちの活躍を見守ることもできない。

衣笠さんは、高校野球の名門校平安高校から広島東洋カープに入団。

衣笠さんは、アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフ。

子供の頃に母親と離婚してから会っていない巨人ファンの父親が、国民学校で教育を受けた世代で、よく「衣笠は、土人だ」「福士は韓国人だ」と言っていた。

「チョンガ」「バカチョンカメラ」を連呼した。

ハーフタレントや韓国人に、ユダヤ人に雇われてテレビに出て日本人を洗脳する仕事をしてきた者がいることは事実だが、大半のハーフや韓国人は、日本人に害を与えたわけではない。

明治、昭和一桁から戦中生まれの奴等は、「めくら」とか「つんぼ」だとか公の場でも家庭でも連発しまくる。

俺は、父親に似ずイケメンで恵体だったこともあるが、

今の女子会の「チビ」「デブ」「ハゲ」「ブス」なんて毒舌でも何ともなく感じられるほど、彼等の発する言葉は、酷かったんよ。

子供ながらに、さもしい人間だなと感じたものよ。

衣笠さんは、私と同じく、いかり肩。

俺は、野球も人生も敗北者だが、

いかり肩の野球選手は、大成しないと言われたが、王さん、衣笠さんは、打者として大成し、高橋一三さんは、巨人の星のモデルになった。

メジャーの選手は逆方向やセンター返しなんてしない。

現在で言うと、ロペスは、逆方向になんて打たない。

メジャーで通用しなかった選手が日本や韓国のプロ野球に行って逆方向やセンター返しをする。

衣笠さんは、プロ野球選手としては、小柄だったけど、”ヘッドを残す”とか”壁を作る”とか無関係の引っ張り専門の打者。

引っ張り専門と言えば、右は衣笠、左は、前田智徳を思い浮かべるほど。

衣笠さんは、フォロースルーが大きくて、背中や頭に付くまでフルスイングをするんよ。

三振のときもホームランのときも。

俺の大好きな選手の一人だった。

三振の数も当時は、歴代1位だったが、100三振は、一度もしたことがない。

2番を打つことも多く、引っ張り専門の右打者だったので、併殺打も当時としては歴代1位であったと記憶している。

だが、フルスイングがこれらを帳消しにしてくれる選手だった。

インハイにぶつけることなく投げれる投手は、投手はプロでも一握り。

打者は、顔から最も近く、スイングの結果最も体感速度が速いと錯覚する真ん中高目を、先ず空振りして、スイングのタイミングを測る。

衣笠さんは、ストライクゾーンからボール1個~2個分高い真ん中高目をホームランにするんよ。

引退したシーズンは、2打席で引っ込んで、片岡と交代していたこともあって、連続試合出場については、いろいろと言われることもあったようだが、引退するまで、連続試合出場を継続した。

投球でも、打撃でも大腿骨を骨盤に刺して肩甲骨をぶつけて、右肘をコックして前に出すときに、肩甲骨を剥がす。

衣笠さんは、他の打者には真似してほしくないが、西本に死球を食らって、肩甲骨を骨折しながら、次の試合も出場して江川から空振り三振。

連続試合出場というと、節制の塊でくそ真面目な人間のように思われるかもしれないが、衣笠さんは、そうではない。

俺は、魚中心で野菜はあまり食べないが、衣笠さんは、肉中心の食事で野菜をほとんど食べない。

衣笠さん曰く、「牛が野菜を食うから野菜を食べなくても大丈夫」とのこと。

これ、まぢで結構当たっているのよ。

俺も、衣笠さんも金本さんも喫煙者。

衣笠さんは、亡くなる前の数年前からやめていたようだけどね。

衣笠さんは、JazzやR&Bが大好きで、日本有数のレコードコレクターでもあり、音楽にも造詣が深い。

若い頃(慶彦さんが入団する前の話)、当時カープのコーチだった関根潤三さんと、素振りをしてから遊びに出かけることを約束させられていた。

関根さんだけでなく、広岡さん、森さんとか昔は、カープは他球団出身のコーチがよくいたんよ。

衣さんは、慶彦さんのことを可愛がっていたが、衣笠さんは、一人で遊ぶ派のようだったらしい。

衣笠さんは、素振りをサボって、岩国のゴーゴーに出かけた。

3時頃、寮に戻ると関根さんが寝ずに待っていて、それから素振りをさせられてという有名な話がある。

古葉監督からは、「お前がどこで何をして遊ぼうが何も言わん、だが伸び盛りの若手を連れまわすのは止めてくれ」と言われていた。

数々の思い出を残してくれた衣笠さん。

もう伝えることができないが、「有難う」と言う気持ちでいっぱいだな。